麻原彰晃の死刑執行が6日行われた。日本中を震撼させたカルト宗教団体のオウム真理教による一連の事件に一応の終止符が打たれた。
しかしそんな中、今だ事件の影響で苦しんでいる人物がいるという。それが麻原彰晃の娘だ。
松本麗華
元オウム真理教幹部ではあるが、地下鉄サリン事件の時には若干11歳であるなど、責任能力や悪意はなかったと判断され、事件の責任に問われることはなかった。(保護観察処分)
当時は後継者として教育されていたようだが、入信はしていないと本人は語っている。
父彰晃逮捕後は、小学校から通信制の教育を受けるなど、かなり苦労したようで、仕事もその事が原因で辞めさせられたりしたこともあったようだ。(但し本人談)
そして彰晃の死刑後、ツイッターのアカウントに嫌がらせの誹謗中傷が相次ぎ、更には謝罪しないのかという社会の声に対して以下のように語った。
(被害者に謝罪しないのかという社会の声に対して)考えに考えたんですよ。「謝るってなんだろう」って。やっぱり自分がやっていないことについて、自分が知らないことについて謝るのはあまりにも無責任だと。儀礼的に謝って自分の身の安全を図るのは、誠実な態度と思えなかったんです。
単なる人間、単なる日本人に、いつかなりたいというのが夢ですね。とにかく人間になるところから、何かに関わっていきたい。
と言う考えで謝罪はしないようだ。
要約すると、麻原彰晃と自分は親子という血のつながりはあるが、それ以上の関係はないし、一人の普通の人間として生きていきたいという考えを持っている。
麻原彰晃(松本智津夫)で金儲け
この松本麗華さんは、本を出版している。
タイトルは「止まった時計」当然オウム真理教の事も書かれてるし、麻原彰晃の娘である事を利用して金儲けをしているわけだ。
著述家と名乗っているが、麻原の娘という肩書がなければ何の需要もないだろう。
他にもブログをやったり講演会を開いたりニコニコ生放送に出たりと積極的に麻原の娘の肩書をビジネスに積極的に生かし金を稼いでいる。
それで「ツイッターに誹謗中傷はやめて欲しい。一人の独立した人間として生きていきたい」
それは無理がある。虫が良すぎるのだ。
麻原の娘として得た仕事で稼いだお金を一部でも、被害者に還元しているならまだ分かるが、結局都合の良い時は麻原の娘という立場を捨てていないのだから、麻原の娘として扱われるのは当たり前の話だ。
この松本麗華が今受けている、たかだかネットでの誹謗中傷とは比べ物にならない傷を被害者の遺族は心に負っているのだから、少しぐらいは配慮するべきだろう。
ちなみに父の死刑に関しても「死刑よりも治療をすべき」と常識とはかなりズレた感覚をしている。
松本麗華の狙い
松本麗華のツイッターを見てきた
一番最初に「執筆」のプロフィール。
ブログやその他メディアでの自己紹介でも必ずといっていいほど最初に「執筆」「著述家」のワードが。
つまりこの麻原の娘は作家である事にアイデンティティと強い拘りがある。
誹謗中傷される事よりも、作家である事の充実感や自己満足が上回っている。
この女性にとってのこの事件や被害者というのは、その程度でしかないので、これから先どれだけ誹謗中傷されようが、頑なに麻原の娘を名乗ることを辞めないと断言できる。
過去に死にたいと思ったともいっているらしいが、絶対に自分の意思では死なないとも断言できる。
この女性に人権があるのは分かるが、被害者の神経を逆なでしていることも事実なので、今の彼女の主張はやはり虫が良い。
ツイッター
死刑執行きたああああああ
ざまあああああああああ
— みぜりこるで (@mizericorude) 2018年7月6日
こういうのは良くない。
よく何十人も殺しといて「教団の教えは信仰というより文化だった」とテレビの
カメラの前で言えるな— ふく (@vghbmx) 2018年7月6日
これは至極真っ当な意見。
極悪犯罪者の父と全く別人格として生きていきたい、そう主張したいのであれば、まず娘である事を利用した金儲けをやめてからというのが筋であろう。恐らくまたこの事を利用してテレビなどにも出演すると思うが、父の死刑を容認していた四女とも対立しているらしい(麗華は三女)。普通に生きたいのであればまず自分から’松本智津夫の娘という美味しい肩書’を捨ててみることから始めてみたらどうだろうか。
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